臨床現場から質的研究の成果が発表されるまで

MAXQDAユーザ事例 仙台青葉学院大学 齋藤佑樹先生

 様々な臨床現場を経験され、大学教員としてもご活躍の齋藤佑樹先生。臨床現場での体験を質的研究につなげていく過程についてお伺いしました。

仙台青葉学院大学齋藤佑樹先生

齋藤佑樹 先生

仙台青葉学院大学 リハビリテーション学部 リハビリテーション学科 作業療法学専攻 副学科長 教授

2.臨床現場と質的研究

「クライエントの内的な世界をイメージしながら意思決定をするーそれは質的研究にも通ずるものがあると思います」

ーー先生はご著書で「クライエントの主観的な世界に関心を持つ」「人は文脈の中で役割を担っているので、文脈における役割を捉えることが重要」というテーマに焦点を当てていらっしゃいます。一方で、質的データ分析の解説書にも「単語は文脈の中で意味を持つため、同じ単語でも文脈によって意味が変化する。それを解釈し、対象者の意味世界を明らかにすることが分析者の役割である」といったことがよく書かれています。机上で質的データを読みながら分析する時に行うプロセスを、先生は臨床現場で瞬時に実践していらっしゃる、分析そのものを身体でやってらっしゃるような印象を受けたのですが、いかがでしょうか。

 そんな風に表現していただいて、なるほどなと思いました。確かに、質的研究的な手続きというのは、臨床現場で常にリアルタイムにやっていると思うんですよね。裏を返せば、質的研究をしていく上で、現場のその文脈を活字だけではなくて肌感として持っているかどうかというのはとても大事だと思っていて。参与観察やエスノグラフィーのように、その文脈の中に身を置くことが、全ての土台になるのかなと思うのです。

 例えばクライエントが何を考えているのかということは、原理的には絶対に分からないじゃないですか。言葉では色々なことを話してくれたとしても、それが本心かどうかは分からないですし。ですから、色々な状況についての情報を集めて、その中で考える、想像する、イメージするということの繰り返しです。そういうふうに想像した上で、自分が次にどう行動するかという選択を決めなければいけないことも多々あります。みんなが冷静な思考ができて作業療法士の役割を理解してくれていて、その上で合意形成が図れれば、リハビリテーションのやることというのは、ある意味ですごくシンプルだと思うんです。けれども現実は、認知症の方やいわゆる主体的に合意形成ができないクライエントに対してリハビリテーションを提供しないといけない場面がとても多くあります。だからこそ、こちらが勝手に何かを決めるのではなくて、クライエントの中の内的な世界を常にイメージしながら、「こうしたらより良い方向に行くのではないか」とかを想像して意思決定をしています。それは、ある部分では質的研究にも通ずるものがあると思います。

ーーまさにその「対象者の内的世界をイメージする」というのは、質的データ分析の解説書にも出てくるキーワードですね。その部分を臨床の現場で瞬時にしていらっしゃる点と、イメージの解像度がすごく高い点を、先生の研究から感じて感銘を受けました。相手の視点を想像するということは、私たちも日常生活で無意識に行うことがあります。そこを感覚で行うのではなく、プロセスや理論を付けていって学術的なものにしたのが質的研究なのかなと思います。

 まさにそうですよね。一方で、量的な研究の人から見るとそうした部分が脆弱な部分に見えたり一般化が困難な部分であったりして、質的研究は懐疑的に言われてきたのだと思います。木と森を見る関係に例えると、一般化する手続きは森を整備していくような手続きです。同じような木が均一に森を構成しているのであれば、一言で森を表現できる量的研究の優位性は限りなく高いんですけど。しかし実際には、そこにはこんな木もあって、かたやこんな木もあって、その構成は本当にバリエーションが豊かです。森にバリエーションがあるとなった時に、文脈をそぎ落として一般化する理論を作れるような、あるいは実証できるようなエビデンスを作っていく手続きを行うのか。もしくは、その文脈をとりこぼさずに理解をしようとしていく手続きを行うのか。両者は決して対立するものではなくて、森の本質を理解していく上での相補的な関係かなと思うんです。

ーー一般化について、もう少し詳しくお伺いさせてください。先生の研究には、具体的な事例が記載されています。これらの個々の事例は一般化できない話である一方で、とあるクライエントに接した経験が次のクライエントに接する際に活きてくる部分もあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 そうですね、それがいわゆる臨床知になっていきます。臨床知になっていくのと、作業療法士自身もうまく言葉に表現できない暗黙知的な部分として蓄積されます。一方で、そういうものは非科学的であり、進化が途中で止まるというリスクがあるんですよね。「あの人だからできた」「特別な条件が揃った人だけが引き継げる」というふうに。そうではない多くの人に対して教育的に伝承していくという部分では、すごく脆弱になってしまいます。だからこそ、一般化できない部分をいかにして言語化したり可視化したりするかというところは、ものすごく重要なテーマだと思うんです。そして、例えばひとりの事例であっても、その事例を丁寧に理論に則って表すことができれば、事例を集積することで大きな実験的な研究につなげることもできるかもしれない。もしくは質的研究という性質を帯びたまま世の中に発信して共有知にしていくこともできますし。いずれにしても、そういう現場の一人一人のデータやそのナラティブデータを学術的に扱うということは、僕が自覚している以上に大事なんだろうなと思っています。

次のページ:質的研究方法論

「研究とか学問っていうのは、自由でいないといけないと思います」

page_top_icon