Endeavourについての科学的背景
今日では結晶性固体の原子構造の決定は、単結晶X線回折の技術を使うことによって概ねルーチンワーク的なプロセスとなっています。しかし分析対象の化合物が微結晶の粉末としてしか準備できない場合には、今日においてもこのプロセスは大変難しいものとなります。粉末の回折データから結晶構造を解明する最初の手法の一つは1960年代後半にRietveld(→文献2)によって開発されました。このアプローチはほぼすべての結晶構造解析プロセスの一部として取り込まれていますが、実際にはそれは次の6ステップから構成される構造解析の最後のステップを担うものでしかありません。
- ピーク位置の特定
- 格子パラメータの指数化と算出
- 結晶の対称性と(可能な場合には)空間群の決定
- 強度の抽出
- 構造計算(原子の位置を近似した構造モデルの作成)
- (原子位置に関する)洗練化プロセス
ステップ1, 3, 4, 6に対しては多くのプログラムが開発されてきているので比較的単純な作業となっています。しかし指数化(ステップ2)は依然難問です (→文献3)。それでも回折法に関わる多くのソフトウェアパッケージには回折データから情報を抽出する(ステップ1-4)ためのルーチンが含まれています。またRietveld refinementについても種々のプログラム(例えばGSAS, FullProf, DBWS)によって実装されています。それらはかなりルーチンワーク的に利用することができます (→文献4)。
しかしRietveldの手法に絡む主要な問題の一つは原子の配置に関する局所的最適化が暗黙のうちに用いられている点です。すなわち原子配列がどうであるかを近似的に示す構造モデルが最初になくてはなりません。粉末回折パターンからそのようなモデルを導く過程(上記ステップ5)は依然難問として留まっています。条件によっては既存化合物とその構造からの類推によって比較的簡単にモデルが構成できることがありますが、一般的に見るとできない場合がほとんどです。
Rietveld法が1969年に発表されて以降、この問題に関し種々のアプローチが開発されてきました(→文献5,6,7,8)。大変参考になる情報が文献に記載されています。通常それらは粉末回折パターンをもとに構造モデル“ab initio”(構造に関する事前の知識を用いることなく)を生成、それをRietveld refinementに付すというアプローチを取っています。
これらの手法の多く(特に古典的な直接法(→文献9)、Patterson method(→文献10)、method of maximum entropy and likelihood(→文献11)の他にFOCUS(→文献12)のようないくつかの新しいアプローチも含む)は個々の反射の強度(hkl)を、多かれ少なかれ単結晶の場合と似た考え方で扱っています。しかし実験で得られた回折パターンからその強度I(hkl)を散乱角度2θ の関数として表すことには重大な問題がつきまといます。異なる反射波が同じ2θ の位置に重なってしまうことによるあいまいさが避けられないからです。そのような重なった反射からI(hkl)の値を抽出する種々の技術が開発されてきてはいますが(→文献13,14)、“古典的”な手法が適用できるだけの精度で強度の値を決定することには限界があります。
いわゆる“実空間法(direct-space methods)”(→文献15,16,17,18,19,20,21,1)は粉末回折パターンに依存しない形で構造モデルを提案することによってこの問題を回避します。その後、計算上の回折パターンと実験で得られた回折パターンとを比較することによってモデルの正当性の検証が行われます。
一般的には実空間法は次のように機能します。あるランダムに選択された構成からスタートし、計算上の回折パターンと計測されたパターンとを比較、その差(コスト関数)を原子配置を変化させることによって最小化させます(ただし単位胞は固定)。他に制約を課さない場合、この単純な手法(逆モンテカルロ法(→文献22,23)では、多くの結晶において、物理的に妥当な原子配置には対応しない最小値に容易にトラップされてしまうという問題が発生します。この理由はコスト関数の形状が多くの深いlocal minimumを持っていることに起因します(→文献23)。
これらのトラップを避けるべく、Endeavourでは計算による回折パターンと計測された回折パターンとの差と共に、系のポテンシャルエネルギーとを組み合わせる形でグローバルな最適化を行い、それによって粉末データより結晶構造を求めるというアプローチを取っています(“Pareto-optimization”)。個々のコスト関数 -- ポテンシャルエネルギーとパターンの差 --はすべての原子の座標に依存するため、それぞれ高次元空間中での超曲面(hypersurface)を構成することになります。双方の超曲面を“マージ”することは、どちらか一方に属する最小値を弱めたり除去したりすると同時に、双方に属する最小値を強化する働きがあります。従って十分長い時間をかけてこのグローバルな最適化プロセスを実行させれば、いずれは正しい結晶構造に対応したglobal minimumに到達することができるわけです。
Endeavourはそれぞれのコスト関数に重み付けをしたものの和に対してグローバルな最小値を見つけようとするわけですが、その際、“simulated annealing”(→文献24)と呼ばれるモンテカルロ法ベースのグローバルな最適化手法を用います。コスト関数に対する重みはデータの信頼度に応じて選択されます。
ポテンシャルについて粗い近似しかない場合には、それを高精度の粉末回折パターンデータによって補うことができます。その場合、ポテンシャルは異なる原子タイプ間の距離が適正値を維持するためにのみ使用され、最適化のプロセス自体は回折パターンの差をベースに進行することになります。
一方、逆に回折データの精度や信頼度が余り高くない場合には、高精度のポテンシャルを用いることで妥当な構造を導くことができます。この場合、パターンの差による効果はポテンシャルエネルギーの局所的最小をもたらす多くの構造のうち、どれか一つを浮き立たせるという面で発揮されます。
もちろん、正確なポテンシャル関数と高品位の粉末回折パターンの双方が存在する場合には、最適化によって正しい結晶構造が短時間で見出される確率が高まります。
一般的には計算に際し空間群に関する情報を入力する必要はありません。この場合、単位胞中のすべての原子の位置が最適化の変数として扱われます。すなわち計算は三斜晶(triclinic)の対称性(空間群P1)を前提に行われることになります。一旦P1中で有望な結晶構造が見つかれば、組み込まれているプログラムSFND3, RGS4を使うことによって容易に全空間群(full space group)を求めることができます。
しかし回折パターン中における反射の欠如によって空間群が推定できる場合には、全空間群対称性(full space group symmetry)を用いることも可能です。もちろん、回折パターン中に一部の対称要素しか見られないといった場合には、“正しい”空間群のサブグループにおいて計算を実行させることもできます。この場合でも、妥当な構造が見出された段階でSFND(→文献25)とRGS(→文献26)を実行することによって、正しい空間群が何であるかを決定することができます。
ポテンシャルエネルギーの計算においては原則としてどのような方法も取れますが、グローバルな最適化の場合、ab initioに基くエネルギー計算は現実的ではありません。幸いなことにパラメータ化された単純な2体間のポテンシャルが有効な場合が多いようです。
- ほとんどの分子構造に対してはHofmann分子間ポテンシャル(→文献27,28)を使用してください。化合物中の少なくとも一つの原子タイプペアに対してHofmannポテンシャルに関する情報が存在しない場合には、原子間最小距離に基く単純反発ポテンシャルでも通常は十分です
- 無機化合物の場合には、単純反発ポテンシャルの一変形である電荷を用いるタイプ、あるいは類似の構造にフィットさせたパラメータを用いたLennard-Jonesポテンシャルがより適切な選択肢となります
これらすべてのポテンシャルタイプがEndeavourでは利用できます。
文献リスト
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